大河ドラマ「いだてん」の主人公、金栗四三エピソード

2019年の大河ドラマ「いだてん」が始まりました。

来年の東京オリンピックに向けて、この大河ドラマにしたんでしょうけど、

いだてんの主人公、金栗四三はオリンピックの開催、駅伝の普及に大きく貢献した人です。

今回は、「日本マラソンの父」金栗四三の劇的な人生をご紹介します。

金栗四三プロフィール

2019年の大河ドラマ、いだてんの主人公である金栗四三のプロフィールを簡単に。

金栗 四三(かなくり しそう)

出典:https://rekijin.com

生 年:1891年(明治24年)

没 年:1983年(昭和58年)92歳没

出 生:熊本県玉名郡

学 歴:玉名中学(県立玉名高校)→東京高等師範学校(筑波大)

種 目:陸上(マラソン、駅伝)

金栗四三は、明治の中頃に熊本県の福岡県の境の玉名郡(現和水町)で産まれました。

日本が日清戦争や日露戦争などで国際的に注目をされ始めた時代に、幼少期を過ごすわけです。

成績は優秀だったようで、旧制中学を経て、東京高等師範学校(現筑波大)に進学します。

 

この東京高等師範学校のときの金栗四三が、大河ドラマいだてんの始まりになります。

金栗四三は、日本が初めてオリンピックに参加したときのマラソン選手であり、

神奈川師範学校(現横浜国立大学)や独逸学協会学校(現獨協中)で教鞭をとった教師であり、

正月の風物詩、箱根駅伝を生み出したりと、

日本初のオリンピック選手であり、

戦争を繰り返していた日本でスポーツを普及していった、

「日本マラソンの父」と称される人物です。

 

また、この金栗四三のオリンピックに至る経緯、オリンピックでのエピソードが、ドラマチックなんですね。

大河ドラマいだてんに選ばれるのも納得の愉快なエピソードを持っています。

次で、そのエピソードを紹介します。

金栗四三!なんて良い人なんだ!!ってなります(笑)

ここで紹介するいだてん金栗四三のエピソードは2つです。

この2つのエピソードがまぁとにかくドラマティックです。

オリンピック予選会

1911年11月、金栗四三が20歳のとき、

翌年に開催される第5回オリンピック・ストックホルム大会(スウェーデン)の予選会が、

東京の羽田で開催されました。

それまでに日本はオリンピックに参加したこともなく、

オリンピックに出場するための選考会も初めてのことです。

金栗四三が出場したのは25マイル競争、現在のマラソンです。

小雨が降りしきる悪天候の下、足袋(←大河ドラマでもでてきます)を履いて走り出した金栗四三は、

なんと、当時のマラソンの世界最高記録たたき出し、優勝してしまいます!

2時間32分45秒というタイムで、それまでの記録を27分も更新する大記録!

繰り返しますが、小雨交じりの悪天候の中のマラソンであり、

戦争に明け暮れていた時代の日本で、いわゆる「スポーツ」という概念のない環境の中で、

このような偉業を達成してしまったんです。凄いでしょ!?

金栗四三は、東京高等師範学校の校長であった嘉納治五郎(←大河ドラマにもでてきます)にオリンピックの出場を要請されます。

一度は断ったものの説得されて日本初のオリンピック出場が決定するのです。

ちなみに、日本初のオリンピック選手は、この金栗四三と、

三島弥彦(←大河ドラマにもでてきます)の2人です。

金栗四三がマラソン、三島弥彦が短距離(100、200、400m)に出場することになりました。

出典:Wikipedia:日本選手団

↑旗手が三島弥彦で旗に隠れている黒い足袋が金栗四三だと思います。

54年8ヶ月6日5時間32分20秒3

金栗四三のストックホルムオリンピックのマラソンの正式記録は、↑のとおりです(笑)

おそらく、絶対に破られることのない最も遅い大記録だと言われています。

・・・は?ってなりますよね(笑)

 

1912年7月14日、ストックホルムオリンピックのマラソン競技が行われました。

68人出場して完走は34人、死者もでるほどの過酷な環境だったようです。

完走できなかった選手の一人が金栗四三です。

 

25km付近を過ぎた金栗四三は、意識が混濁してしまい、

コース近くの農家(←ぺトレ家というそうです)に迷い込んでしまい、気を失ってしまいます。

このぺトレ家に迷い込んできたのは金栗以外にもいたそうで、

ぺトレ家の人たちはこれらのマラソン選手たちを介抱したそうです。

翌日に目を覚ました金栗は、失意のもと宿舎にもどり、日本人選手団からがっかりされ(笑)、

日本に帰る前に、ぺトレ家の人たちと食事をし、お礼をしたそうです。

で、失意の下、金栗も含め、みんなで日本に帰っちゃうわけです。

このとき金栗四三は21歳になる年でした。

 

しかし、ストックホルムのオリンピックの関係者などの間では、

レースからいなくなった金栗四三のことを

「消えた日本人の謎」として都市伝説のような扱いをされたようで、

  • レースを放棄してお茶とお菓子をご馳走になっていた
  • 美女の亡霊に連れていかれた
  • 森に迷い込み亡くなり、未だに走り続けている

などと噂されたとのこと。

愉快じゃないか!ストックホルム、まじめに考えてないなぁ(笑)

 

帰国後、金栗は次のオリンピックを目指したり、

23歳で結婚したり、

アントワープ、パリのオリンピックに出場し、

あちこちの学校の教師を務め、

箱根駅伝を開催させたり、

女子のスポーツを普及させたり、

日本のスポーツの普及、発展に大きく貢献するわけです。

1955年(昭和30年)には、スポーツ界から初となる紫綬褒章を受けることになります。

そして、大河ドラマいだてんのメインテーマである東京オリンピックが1964年に開催されます。

金栗四三73歳のことです。

 

東京オリンピックの3年後、1967年に76歳になった金栗のもとに、

スウェーデンのオリンピック委員会から案内状が届くのです。

 

「あなたはまだゴールしていません」

 

なんでも、55周年記念行事をやろうとしたスウェーデンのオリンピック委員会が、

当時の記録を調べていたところ、金栗は、

「(棄権の意思が運営側に伝わっていなかったため)競技中に失踪し行方不明」

と、取り扱われていたことがわかり、

未だ走り続けているという状態の金栗をゴールさせようと、記念行事に招待したんです。

 

76歳の金栗四三は、式典会場に用意されたコースを走り、ゴールテープを切ります。

場内にアナウンスが流れます。

 

日本の金栗、ゴールイン。タイム54年8ヶ月6日5時間32分20秒3。これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します。

 

ゴール後した金栗は、

 

長い道のりでした。この間に妻をめとり、6人の子供と10人の孫に恵まれました。

 

と挨拶し、会場は大喝采となったようです。

スウェーデンの粋な計らいと、金栗の人柄を示す、全くもって愉快なエピソードですね。

 

このスウェーデン滞在のときに、金栗四三は、

55年前に介抱してくれたぺトレ家を訪問します。

55年前の介抱されたときに飲ませてもらったレモネードをふるまわれ、

飲み干した後「55年前と同じだ」と言ったそうです。

出典:https://headlines.yahoo.co.jp

この感動的な出来事、金栗四三の愉快なエピソードが、

大河ドラマいだてんのシーンで出てくるかどうかも注目したいですね。

 

余談ですが、2012年7月にストックホルムオリンピック100周年記念式典が行われ、

金栗四三のひ孫の方が招待され、同じコースを走ったそうです。

まとめ

以上、今回は、大河ドラマいだてんの主人公である金栗四三のエピソードを紹介しました。

大河ドラマいだてんは、2020の東京オリンピックの開催に合わせるという意図があると思いますけど、

その主人公の一人である金栗四三は、日本マラソンの父と称される、

陸上アスリートであり、日本のスポーツの普及、発展に大きく貢献した人物です。

機会がありましたら、金栗の活動も紹介したいと考えています。

 

今回の記事がスポーツを楽しみたい方々のお役に立てればうれしく思います。

よろしければ過去記事の<<感動したスポーツの名場面ランキング2018ベスト10>>もご一読ください。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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