2019年5月20日、上原浩治選手が引退を発表しました。
日本プロ野球界の一時代を席巻した大投手の引退は寂しいものがありますね。
日本プロ野球、メジャーリーグ、そして、日本代表の中心としてワールドベースボールクラシックでも活躍してくされました。
今回は、「雑草」上原浩治の引退に際して、上原浩治の実績を振り返ってみたいと思います。
上原浩治のプロ野球実績
まず、上原浩治の実績を数字で振り返ってみます。
その実績の凄さを表すのに、数字の羅列になってしまいますが、ご容赦ください。
投手としての成績と、上原浩治のタイトル受賞などの実績を区分けします。
まずは、投手成績、実績から。
※年度-勝利数-セーブ数-ホールド数-防御率(所属)
1999:20– 0- 0-2.09(巨人)
2000: 9 -0- 0-3.57(巨人)
2001:10- 0- 0-4.02(巨人)
2002:17– 0- 0-2.60(巨人)
2003:16- 0- 0-3.17(巨人)
2004:13- 0- 0-2.60(巨人)
2005: 9- 0- 0-3.31(巨人)
2006: 8- 0- 0-3.21(巨人)
2007: 4-32- 4-1.74(巨人)
2008: 6- 1- 5-3.81(巨人)
2009: 2- 0- 0-4.05(オリオールズ)
2010: 1-13- 6-2.86(オリオールズ)
2011: 2- 0-22-2.35(オリオールズ&レンジャーズ)
2012: 0- 0- 7-1.75(レンジャーズ)
2013: 4-21-13-1.09(Rソックス)
2014: 6-26- 1-2.52(Rソックス)
2015: 2-25- 0-2.23(Rソックス)
2016: 2- 7-18-3.45(Rソックス)
2017: 3- 2-14-3.98(カブス)
2018: 0- 0-14-3.68(巨人)
2019: 0- 0- 0- なし(巨人)
NPB(11年)112勝67敗 33セーブ 23ホールド 防御率3.02
MLB( 9年) 22勝26敗 95セーブ 81ホールド 防御率2.66
計 (20年)134勝93敗128セーブ104ホールド 防御率2.84?
次ぎに、上原浩治の個人タイトル受賞などの実績を年表にようにしてみました。
1999:最多勝、最優秀防御率、新人王、沢村賞
2000:
2001:
2002:最多勝、沢村賞
2003:
2004:最優秀防御率
2005:
2006:第1回WBC優勝(先発し2勝)
2007:
2008:
2009:MLB、ボルチモア・オリオールズへ
2010:
2011:連続無四球試合36←史上3位
2012:
2013: ワールドシリーズ優勝、リーグCS-MVP
2014:MLBオールスター選出
2015:
2016:
2017:
2018:100勝100セーブ100ホールド(日米通算)を達成←世界で2人目、日本史上初
2019:5月20日引退
以上、上原浩治の投手としての成績、及び個人タイトルや活躍したシーンを年表のようにまとめてみました。
・・・あらためてみても、凄い実績ですよねぇ。
巨人に入団した1999年、いきなり20勝を挙げ1度目の沢村賞。
新人投手の沢村賞受賞は、権藤博、堀内恒夫に次ぐ日本プロ野球史上3人目。
それから20年間、日本プロ野球で11年、大リーグで9年、
トータルで勝利、セーブ、ホールドの数が100を超える実績を残しました。
この100勝&セーブ&ホールドは、地球上に2人しかいないそうで(もちろん日本史上初)、
この3つの100を達成する投手はいないだろう、上原浩治が最後であろうと、評価されています。
引退することになりましたが、やはり、凄い実績で、上原浩治の凄さがうかがえますね。
上原浩治の印象に残る実績
ここでは、数字や成績ではない、上原浩治の実績を、映像を中心に振り返ってみましょう。
上原浩治の活躍シーン、感動シーンです。
まず、文字レベルですみませんが、
プロ入り前の上原浩治の国際大会での凄い実績をご存知ですか?
国際野球連盟(IBAF)が主催するインターコンチネンタルカップで、上原浩治は世界から注目させることになりました。
1997年に開催された第13回バルセロナ大会で、大体大の3年生だった上原浩治は、日本代表に選出され、
その決勝戦でアマチュア野球界の世界最強国キューバ戦で先発します。
この試合までに国際大会で151連勝中であったキューバでしたが、
11-2で日本が圧勝!日本は2度目の優勝(←え?2度目?少なっと思いません(笑)。
先発した上原浩治は勝利投手になります。
つまり、世界最強キューバの連勝記録をストップさせた投手は上原浩治なんです。
上原浩治が只者ではないということを示す実績だと思いませんか?
この後、この年の日米野球でも活躍した上原は、
1998年プロ野球ドラフトの目玉となるのですが(←松坂大輔とともに)、
最終的に、上原の獲得を争ったのは巨人とアナハイム・エンゼルス(←現在翔平大谷が在籍)だったとのこと。
プロ入り前の上原は、大リーグの球団も獲得に動くほど、国際大会で実績を残していたということです。
プロ入り前のエピソードですが、上原浩治の凄さを示す実績だと思います。
プロ入りした上原の活躍はここで説明するまでもないと思います。
ただ、上原がファンから愛される選手であったシーンを振り返りましょう。
まずは、上原は超かっちょいいです!
ボストンのファンが凄い!!
「koji koji」
「うわふぁーら!」
・・・ブルペンからマウンド、投球練習が終わるまで何もしゃべらない実況・・・
フェンウェイパークの歓声と拍手!
場内アナウンス、「Now picting for the red sox. No.19, Koji Uehara♪」
実況「Here it is!」
※ヒアリングが間違っていたらすみませんm(__)m
この記事に貼れないことが残念でなりません涙
この映像は永久保存版です!
上原の実績の積み重ねがこんなシーンになるんですね。
鳥肌たちまくり、かっこよすぎる!!
このシーンがあったからなのか、巨人に帰ってきたときのシーンがこちら。
映像をお借りしますm(__)m
↑このときドームで観戦していた方々は興奮したでしょうねぇ。
こちらも、大リーグでの実績があったから感動シーンとなりますよね。
そして、上原浩治のプロ野球最大の実績、最高のシーンと言えばこちらでしょう。
レッドソックス、2013年ワールドシリーズ優勝!
優勝のかかった9回、セーブポイントのつくシーンではありませんが、
レッドソックスは上原をマウンドへ!! さすが名門!
そして、胴上げ投手に!
3つの映像をお借りして、上原浩治を紹介させていただきましたけど、
・・・こんな凄い投手だったんですよね、上原は・・。
長い間お疲れ様でした。
多くの興奮するシーン、感動シーンをありがとうございました。
まとめ
以上、今回は、上原浩治の引退に際して、
上原浩治に感謝したいという想いから、
上原の実績、感動シーンを紹介させていただきました。
引退は悔やまれますが、プロスポーツの選手の運命ですから致し方ありませんね。
100勝100S100Hという記録も、その「雑草魂」の成せる業だと思います。
上原浩治という、
コントロール抜群の凄い投手
がいたんだということを、覚えておきましょう。
今回の記事が読んでくださったみなさんのスポーツの楽しみのお役に立てればうれしく思います。
よかったら過去記事の<<NBA定着なるか?渡邊雄太の経歴を確認しておきましょう>>もご一読ください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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