2020年に東京で開催されるスポーツの祭典オリンピック。
その競技の中で「マラソン」について振り返ってみましょう。
日本人のメダリストたちとマラソン競技に出場した日本人の記録を中心に紹介したいと思います。
これまでに男子は22回、女子は9回、オリンピックのマラソンに出場しています。
日本人のマラソンの記録
日本人が初めてオリンピックに出場したのは、
1912年(明治45年)第5回ストックホルム大会(スウェーデン)です。
この大会に出場した日本人選手は2人、陸上短距離の三島弥彦とマラソンの金栗四三です。
今回はマラソンに焦点を当てますが、
日本人は、このオリンピック初出場の金栗四三以降、
オリンピック不参加が何回かありましたけど、
直近のオリンピック2016年リオデジャネイロ大会まで、参加した全大会でマラソン競技に出場しています。
オリンピックで女子のマラソンが始まったのは1984年(昭和59年)の第23回ロサンゼルス大会から。
それ以降毎大会選手が出場しています。
日本人メダリストを紹介する前に、
マラソンに出場した全ての日本人選手の成績を振り返ってみましょう。
※DNF:記録なし(Did Not Finish)
1912年 第5回 ストックホルム大会
DNF 金栗 四三
※順位36位、記録54年8ヶ月6日5時間32分20秒3というエピソードがあります。
1920年 第7回 アントワープ大会
16位 金栗 四三
20位 茂木 善作
21位 八島 健三
24位 三浦 弥平
1924年 第8回 パリ大会
DNF 金栗 四三
DNF 三浦 弥平
DNF 田代 菊之助
1928年 第9回 アムステルダム大会
4位 山田 兼松
6位 津田 晴一郎
48位 永谷 寿一
1932年 第10回 ロサンゼルス大会
5位 津田 晴一郎
6位 金恩培
9位 権泰夏
※金恩培、権泰夏は朝鮮半島出身。当時日韓併合により日本国籍でオリンピックに出場。
1936年 第11回 ベルリン大会
1位 孫基禎
3位 南昇竜
DNF 塩飽 玉男
※孫基禎、南昇竜は朝鮮半島出身。当時日韓併合により日本国籍でオリンピックに出場。
1952年 第15回 ヘルシンキ大会
25位 西田 勝雄
26位 山田 敬蔵
DNF 内川 義高
1956年 第16回 メルボルン大会
6位 川島 義明
16位 濱村 秀雄
33位 広島 庫夫
1960年 第17回 ローマ大会
31位 広島 庫夫
32位 渡辺 和己
46位 貞永 信義
1964年 第18回 東京大会
3位 円谷 幸吉
8位 君原 健二
15位 寺沢 徹
1968年 第19回 メキシコシティ大会
2位 君原 健二
9位 宇佐 美彰朗
DNF 佐々木 精一郎
1972年 第20回 ミュンヘン大会
5位 君原 健二
12位 宇佐美 彰朗
36位 采谷 義秋
1976年 第21回 モントリオール大会
20位 宗 茂
21位 水上 則安
32位 宇佐美 彰朗
1984年 第23回 ロサンゼルス大会
男 子
4位 宗 猛
14位 瀬古 利彦
17位 宗 茂
女 子
19位 佐々木 七恵
DNF 増田 明美
1988年 第24回 ソウル大会
男 子
4位 中山 竹通
9位 瀬古 利彦
17位 新宅 永灯至
女 子
25位 浅井 えり子
28位 荒木 久美
29位 宮原 美佐子
1992年 第25回 バルセロナ大会
男 子
2位 森下 広一
4位 中山 竹通
8位 谷口 浩美
女 子
2位 有森 裕子
4位 山下 佐知子
29位 小鴨 由水
1996年 第26回 アトランタ大会
男 子
19位 谷口 浩美
54位 大家 正喜
93位 実井 謙二郎
女 子
3位 有森 裕子
12位 真木 和
17位 浅利 純子
2000年 第27回 シドニー大会
男 子
21位 川嶋 伸次
41位 佐藤 信之
DNF 犬伏 孝行
女 子
1位 高橋 尚子
7位 山口 衛里
15位 市橋 有里
2004年 第28回 アテネ大会
男 子
5位 油谷 繁
6位 諏訪 利成
42位 国近 友昭
女 子
1位 野口 みずき
5位 土佐 礼子
7位 坂本 直子
2008年 第29回 北京大会
男 子
13位 尾方 剛
76位 佐藤 敬之
DNF 大崎 悟史
女 子
13位 中村 友梨香
DNF 土佐 礼子
欠場 野口 みずき
2012年 第30回 ロンドン大会
男 子
6位 中本 健太郎
40位 山本 亮
45位 藤原 新
女 子
16位 木崎 良子
19位 尾崎 好美
79位 重友 梨佐
2016年 第31回 リオデジャネイロ大会
男 子
16位 佐々木 悟
36位 石川 末廣
94位 北島 寿典
※滝崎邦昭(猫ひろし)がカンボジア代表として出場、139位。
女 子
14位 福士 加代子
19位 田中 智美
46位 伊藤 舞
以上、男子22回、女子9回のオリンピック、マラソンの結果を羅列?となりましたが、紹介しました。
男子52人、女子24人、計76人の選手がオリンピックでマラソンに出場しました。
最多出場は、男子が金栗四三、君原健二、宇佐美彰朗の3回、
女子が有森裕子、土佐礼子の2回です。
それで、マラソンのメダルなんですが、
孫基禎選手と南昇竜選手が1936年のベルリンオリンピックで金メダル、銅メダルを獲得しており、
オリンピック委員会の公式記録では日本国籍となっています。
しかし、この記事中では、2選手に敬意を表して、筆者の独断で、
その出生から孫基禎選手を北朝鮮、南昇竜選手を韓国籍として取り扱わせていただきますm(__)m
そうなると、男子のオリンピックマラソンの最高記録は銀メダルでして、金メダルを獲得したことがないんですよね。
女子はご存知のように、高橋尚子と野口みずきが金メダルを獲得しています。
つまり、男子は22回の出場で銀メダル2、銅メダル1、合計3つのメダル、
女子は9回の出場で金メダル2、銀メダル1、銅メダル1、合計4つのメダルを獲得しています。
近年は男女ともアフリカ勢の強さが際立っていますので、
日本がオリンピックのマラソンでメダルを獲得するのは難しくなっているんでしょうね。
以上が、日本人が出場したオリンピックのマラソンの全記録です(タイムは割愛させていただきました)。
日本人メダリスト
ここでは、オリンピックのマラソンでメダルを獲得した選手を紹介したいと思います。
男子メダリスト
円谷 幸吉(銅メダル)
1964年の東京オリンピックの銅メダリスト。
↑お借りした画像のように、ゴール直前まで2位でしたが、
トラックでヒートリー(イギリス)に抜かれ、3位、銅メダルを獲得したわけです。
現在ではちょっと考えられませんが、
円谷は東京オリンピックで10000mとマラソンに出場し、10000mで6位に入賞しています。
1940年生まれですから、この東京オリンピックのマラソンのときに24歳、中央大の学生でした。
ご存知の方が多いと思いますが、27歳のときに自ら命を絶ちました。
実質、マラソンで日本人初のメダリストは円谷幸吉です。
君原 健二(銀メダル)
期待された東京オリンピックで8位に終わった君原が、4年後のメキシコシティオリンピックで銀メダリストとなりました。
円谷幸吉と同学年の君原は、日本国内でライバルであった円谷の死に際し、
「メキシコ五輪で日の丸を掲げることを誓う」との弔文を送り、オリンピックに望んだのでした。
君原は日本人で最多となる3度のオリンピックマラソンに出場し、
8位、2位、5位と現在であれば3大会連続入賞を成し遂げたマラソンランナーです。
※メキシコシティオリンピックのときは入賞が6位まででした。
森下 広一(銀メダル)
1992年のバルセロナオリンピックのマラソン銀メダリスト。
君原健二以来24年ぶりにマラソン男子で日本にメダルをもたらし、
2019年の現在まで、オリンピックでのメダリストは森下以降出ていません。
つまり、現在のところ、オリンピックマラソンでの最後のメダリストということになります。
現在はトヨタ自動車九州の監督を務めています。
女子メダリスト
有森 裕子(銀・銅メダル)
1992年バルセロナオリンピックで2位、1996年アトランタオリンピックで3位と
2大会連続でメダルを獲得したのが有森裕子。
1992年の銀メダル獲得は、日本の女子陸上選手として、レジェンドである人見絹江(800m)以来64年ぶり、
また、女子マラソンとしては日本初のメダル獲得、
さらに、2大会連続メダル獲得は、陸上、マラソンにおいては日本人唯一ということになります。
金メダルには届きませんでしたが、堂々のメダリストですよね。
高橋 尚子(金メダル)
2000年シドニーオリンピックの女子マラソン金メダリストが高橋尚子。
日本の女子マラソン初の金メダリストです。
このときの2.23.14はオリンピック記録でした(2012年に更新されます)。
シドニーオリンピックの翌年のベルリンマラソンで2.19.49の世界新記録を出しました。
野口 みずき(金メダル)
2004年アテネオリンピックの金メダリスト。
野口みずきのメダル獲得で、日本はオリンピックマラソンを連覇、
4大会連続でメダルを獲得したことになりました。
残念ながら、野口みずき以降、日本女子はメダルを獲得できていません。
2008年の北京オリンピックでは、女子史上初の連覇が期待されましたが、
大会直前の怪我により、北京大会を欠場することになりました。
以上、これらの男女6人が日本のメダリストたちで、計7個のメダルを獲得しています。
惜しくもメダリストになれなかった日本人選手もけっこういます。
オリンピックで4位となった選手です。
1928年アムステルダムオリンピックの山田兼松、
1984年ロサンゼルスオリンピックの宗猛、
中山竹通に限っては、1988年のソウル、1992年のバルセロナの2大会連続、
1992年バルセロナオリンピックの山下佐知子
これらの4選手は、惜しくも4位という成績でした。
オリンピックマラソン成績の比較
オリンピックのマラソンで日本の成績、メダリストを紹介しましたけど、
国別でみたときには、どこが強いのか。
日本のマラソンはオリンピックでどれ位のランクなのかを調べてみました。
マラソン男子のメダル獲得をランキング(金メダルの多い順)にしてみると、
【金メダル数-銀メダル数-銅メダル数-メダル計-国】
- 4-1-3-8 エチオピア
- 3-3-4-10 アメリカ
- 3-2-0-5 フランス
- 2-3-2-7 ケニア
- 2-2-0-4 南アフリカ
という順になり、日本男子は金0銀2銅1計3で17位になります。
アフリカ勢が強い印象がありますが、
オリンピックマラソンは1896年から行われていますので、
アメリカ、フランスなど1900年前後からオリンピックに出場している国がけっこう上位にくるんですよね。
同じくマラソン女子をみてみますと、
【金メダル数-銀メダル数-銅メダル数-メダル計-国】
- 2-1-1-4 日本
- 2-0-1-3 エチオピア
- 1-3-1-5 ケニア
- 1-1-1-3 ロシア
- 1-1-0-2 ルーマニア
と、日本の女子マラソンはオリンピックでの実績は1位です。
メダルの獲得数こそケニアの及びませんが、金メダルの獲得数は上回っていて、
金メダルを2個獲得している国は、日本とエチオピアしかありません。
日本女子は強いんですよね、オリンピックマラソンで。
男女を合計して金メダルと、メダル獲得数と順位で表してみますと、
【金メダル数】
- 6個 エチオピア
- 4個 アメリカ
- 3個 ケニア
- 3個 フランス
- 2個 日本
と、日本は世界のベスト5に入ります。
男女のマラソンで金メダルを2個獲得している国は他にもありまして、
南アフリカ、フィンランド、イタリア、アルゼンチン、ドイツ、ポルトガルなどが日本と同じく金メダル2個です。
金銀銅のメダル獲得数を多い順にならべてみますと、
【獲得メダル数】
- 12個 アメリカ
- 12個 ケニア
- 11個 エチオピア
- 7個 日本
- 5個 フランス
という順番になります。
日本はけっこうな実績を残しているんですよね。特に女子ですが。
まとめ
以上、今回はオリンピックのマラソン、日本人のメダリストたちを紹介しました。
また、日本のオリンピックのマラソンの全選手の順位も紹介してみました。
実績を振り返ってみると、世界の国々の中で日本のマラソンはけっこう上位の成績であることがわかりました。
日本が陸上競技でメダルを獲得するのはなかなか難しいんですけど、
マラソンでは世界とメダルを争ってきた歴史があり、メダルが期待できる競技です。
2020年に迎える2回目の東京オリンピックで男女のマラソンには注目したいですね。
今回の記事がスポーツを楽しまれる皆さんのお役に立てればうれしく思います。
よかったらオリンピック関連記事のこちらもご一読ください。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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